特技は『逃げること!』な人生だった。
でもだんだん逃げなくなった。
- 幼少期
- 中学時代は雰囲気で楽しんでいた
- 高校時代は嫌な事から逃げたいのがピーク
- なんの為に行ったかわからない短大生活
- 22歳 大手自動車会社の下請け会社で一般事務
- 25歳 地元に戻って広告会社に入るも2週間で辞める
- 地元の調剤薬局編
- 嫁ぎ先のストレス
- ⑤仕事を辞めると決心する
- ⑥光を避けるため暗闇での生活がスタート
- ⑦たまたま見たスマホのニュースが転機になる
- ⑧やりたいことができたら、体調がみるみる回復していった
めが猫です。
1つくらいプロフィール記事を書いておこうと思います。
名前:めが猫
性別:おんな
年齢:30歳
結婚:既婚者 こどもはまだいません
住んでるところ:愛知県の田舎
幼少期
父母、2つ年の離れた兄、わたしと父方の祖父母と1つ屋根の下2世帯で暮らし。
性格はひょうきんで活発、友達も沢山いたけど本当はシャイで内向的でした。
だから友達が集まっているところに後から入っていくのが怖かったです。
《小学校5年生の時、初めての引っ越し》
我が家は2世帯だったので、嫁姑問題がありました。
祖母は精神的に弱く一度思い込んでしまうと歯止めがきかない人なので、母親はよく理不尽な理由で怒られてました。
そんな母を守るために父母vs祖父母のバトルがよく勃発。
たまに父親が祖父に手を出す音が聞こえたりしました。
わたしが小学校5年生になった頃、ケンカが始まるとわたしも兄も精神的に辛くなってきて泣くように。
状況を目の当たりにした両親は、引っ越しを決意します。
そしてわりとすぐ引っ越しました。っていっても歩いて5~6分くらいの距離ですが。
ケンカすることはなくなりましたが、なんせ近いので未だにしょっちゅう祖母は顔を出しにきますw
中学時代は雰囲気で楽しんでいた
中学時代はクラスの中で目立つタイプで、そういう子たちが集まるグループにいました。
今思えば、わたしはそういうタイプじゃなかったのかなって感じますw
級長をやる器ではなかったですが、体育祭とか文化祭でクラスの催し事があるときはメインで企画するタイプでした。
あと先生となかなか上手くいかない中学生活でもありました。
2年3年とそれぞれクラスの担任になった先生が他校から移動してきた方でした。
生徒と先生の信頼関係がなかなか築けず、生徒vs先生でよくケンカした2年間でした。
授業中に先生が怒って職員室に戻ってしまい、級長が代表して職員室に行くのですが謝るのではなくさらにケンカするって感じ。
まぁお互いの気持ちを言い合うっていう意味ではイジメになるより全然よかったかなと。
ただこういう場で自分の意見をビシっと言える度胸をもった人間ではなかったです。
部活動はソフトテニス部に入ってましたが、あまり真剣にやってませんでした。
もっとちゃんとやっとけばよかったなって後悔してます。
結局雰囲気で楽しいことだけやって嫌な事から逃げてる中学生でしたね。
2年間好きだった男の子がいたけど、片思いで終了。
高校時代は嫌な事から逃げたいのがピーク
高校に入ると自分の今までのキャリアが崩れ去りました。
中学では活発なグループにいたのが、高校では周りになじめず1人だったりしたことも。
一応グループに入ってはいたけど、クラスのメインじゃないグループだったので嫌でした。
そんなグループに入っている自分のプライドが許せないって感じでしたね。
高校ってそういうのが一番顕著にでる頃なんですよね。
ただ中学とは違って、部活動は真剣に打ち込みました。
バドミントン部に入って、部長もやりました。
部活の為に学校に行っていたようなもので、部活以外の生活が苦痛で仕方なかったです。
2年生に上がって好きな人ができました。
同じ部活の子で、クラスも一緒になってすごく嬉しかったです。
でもクラス自体は嫌いでした。
メインのグループにいない自分がやっぱり許せなかったんですね。
修学旅行も全然楽しくなかったし、2年の時の記憶があまりないです。
唯一鮮明に覚えているのが、メインのグループにいた嫌いな子がわたしと同じ人を好きだと知った事です。
衝撃でしたね。のちにその2人が付き合ってると知った時はもっと衝撃でしたねw
そして3年にあがってすぐ、わたしの中の弱い気持ちがピークになりました。
好きな人はわたしの嫌いな人と付き合ってて、友人関係もわたしよりよくて・・・
って感じで自分と相手を比べてばっか。
嫌ならその子より先に告白すればよかったじゃないって話。
その勇気すらなかったので、ただの負け惜しみでしかなかったです。
唯一楽しかった部活にも、嫌いな子が彼氏の応援をしに来たりしたので自分の居場所を奪われた感覚でした。
真剣だった部活も身が入らなくなって顧問の先生に怒られたり、何もかも嫌になって学校を辞めたいって思うようになりました。
それを話して親からボロクソに叱られ、先生に迷惑をかけ、友達から心配されるというバカな結果を生みました。
ただ、この時にできた友達で今でも続いている子もいるので全部ダメではなかったです。
なんの為に行ったかわからない短大生活
わたしは英語が好きだったので、英語を学べる短大に行きました。
色んな分野の授業を自分で選んで学ぶ大学だったので、英語以外にもファッションとか心理学とかもかじったりしました。
当時見てもらっていた英語の先生に、『あなたなら交換留学の試験絶対受かるから受けなさい!』って言われたけど受けませんでした。
理由は当時付き合ってた人と離れるのが嫌だから。
バカなことしたなぁーって今でも後悔してますw
ファッション業界にも興味があったので、ゼミは英語系ではなくファッション系に入りました。
そこで一気に気持ちはファッション業界に向きます。
就職先もアパレル業界になりました。
新卒で某アパレル会社に就職し、名古屋でショップ店員をしてました。
そしてここから1人暮らしもスタートします。
なんでもそうですが、表華やかな業界は大変ですね。
現実は全然違います。
最初に配属された店舗の店長が性格難の人だったので、店の雰囲気最悪でした。
たまたま視察にきた本部の職員がわたしを心配して、別ブランドへの異動を勧めてくれました。
疲労とストレスでガリガリに痩せてしまってたので、本当に助かりました。
異動した店舗の店長はすごくいい方で毎日楽しかったです。
ですがそういう人はどんどん上の立場になっていってしまうので、他店の視察に出たりであまり自店にいることがなくなるんですよね。
それで新たに店長になった先輩は頼りない方でした。
わたしは店長補佐として店舗を回してたんですが、連日の激務と休日も少ないなかで疲弊していきます。
新たにできる店舗の店長をやらないかという声も何度かかかったけど全て断りました。
自信がなかったですね。
結局仕事が嫌になって1年8ヵ月で辞めます。
ちなみにショップ店員時代に今の旦那と付き合いだしますが、10ヵ月くらいで別れますw
22歳 大手自動車会社の下請け会社で一般事務
ショップ店員をやめてから、派遣社員として自動車部品工場で事務をしました。
ここでも上司が女々しい人で、その日の気分で態度が変わる人だったので苦労しました。
現場のおばちゃん達からは良くしてもらってたので、たまにそっちに逃げてはさぼってましたw
自分が担当していた仕事は、元受けからきた受注を下請けに流して納期までに納品させるというもの。
下請けから当たり前のように『納期間に合わないから伸ばしてください』って連絡が入るのを、『バカたれ何が何でも間に合わせろ!』って指示する仕事w
2年半勤めて、前任の人より230件納期遅れを減らすことができました。
こうやって成果が分かりやすいのって楽しいなって感じましたね。
今思えば仕事内容はそこまで嫌いじゃなかったです。上司がダメでした。
この頃に、旦那とよりを戻します。1年半くらい間が空いてたと思う。
旦那とわたしは地元が同じなので、仕事を辞めて実家に戻り地元で仕事を探そうと決めます。
25歳 地元に戻って広告会社に入るも2週間で辞める
早速実家に戻り、仕事を探します。
家から車で10分の所にある広告会社に事務員として入ります。
が、わたしが入って2日後に事務員が辞めると知ります。
そうすると、社長・営業1人・わたし しかいなくなります。
入って2日ですべての業務をやるなんてなんてBLACK!!!w
会社にウソついて休みをもらい、他の会社に面接受けにいってました。
仕事中に面接した会社から合格の連絡が入り、速攻社長に辞めるといいました。
わたしがいた期間2週間。社長は全く引き留めませんでした。
職場内の掃除をしていた時、過去に勤めていた人の履歴書が入ったファイルをみつけたのですが、あまりの量にあぜんとしました。
『入れ替わりが激しいんだな、だから社長もわたしが辞めると言っても驚かないんだ』ってなんか納得。
地元の調剤薬局編
①ゆるゆる名人に悩まされ切れ痔を患うw
広告会社をすぐやめて、その会社と同じ町内にある調剤薬局で働き始めますw
そこは薬剤師2人・事務2人の4人体制で回している店舗でした。
事務の1人が産休に入るため、補充要員としてその店舗に配属されました。
医療系のPCソフトを触るのは初めてだったし、薬の名前や患者さんの名前など覚えることだらけで社会人になって1番苦労しましたね。
人間関係でもかなり苦労した時代でもあります。
産休中の事務さんが戻ってくるまで、4つ上の先輩と2人でした。
その先輩は入社して半年で、前職も調剤薬局だったそうです。
なので大丈夫かなって思ってたら、いやいや全然!仕事のできない人だったんですよねw
その先輩はとにかく我が強くて何でも1人でやりたがる人でした。
でも実際1人で対処しきれてなくて、しりぬぐいはわたしと薬剤師の先生です。
一般常識がなんだか欠けている人で、付き合っている彼氏との間に2回子供ができて2回とも下したって話を自慢してくる人でした。
なのでわたしはその人に『ゆるゆる名人』とあだ名をつけることに。
ゆるゆる名人にイジメられ、切れ痔になり、自律神経がおかしくなりました。
そして1年経ってやっと産休を終えた事務さんが戻って来ます。
基本事務2人の店舗なので、わたしかゆるゆる名人のどちらかが異動になるのは確実。
どっちになってもゆるゆる名人から離れられるから良いと思っていたら、なんとゆるゆる名人またも子供ができました。
さすがに親に怒られて(そりゃそうだ)結婚することになり、産休をとるという話に。
産休に入ったはいいけどそもそも評判が悪かったので、どこの店舗も受入れNGで結局辞めていきました。
②ゆるゆる名人消えたと思いきや今度はお局に悩まされるも克服
『やっと楽になる!』と思ったのもつかの間、そもそも産休から戻ってきた人もやっかいな人だったのですw
典型的なお局さんで、自分で仕事抱えてやらせないくせに、わたしに対して仕事全然やってくれないって態度で接してくる方でした。
共有事項を自分で止めるから私まで情報が来ない、業務を全然教えてくれない。
多分こういう人共通だとおもいますが、教え方がヘタクソなんですよね。
自分しかわからない言い方で当たり前のように教えてくる。
理解ができないから聞き直したり、同じことを聞くと不機嫌になる。
結果わたしは自己流で業務を覚えていくことになりました。
結局解放されなかったので、切れ痔もなかなか治りませんw
胃薬と切れ痔の薬が手放せませんでした。
だけどなんとか食いついて頑張った結果、お局さんに気に入られるようになったんです。
もちろん業務も頑張ってこなしましたが、いろいろとワイロを送りましたw
お局さんは子供が4人います。
わたしは旅行に行くと必ずお局さんの子供にお土産を買うようにしました。
これがかなり効き目があって、気を使える人間だと思ってもらえたようです。
それからはお局さんはわたしに仕事を任せるようになり、逆にわたしを頼るようにまで。
面倒な人ではあったけど、状況は変わったので仕事はしやすかったです。
結局3年間一緒に働きました。
③初めての異動 こんどはお局2人に悩まされるも克服
その後、別店舗の本店に異動が決まります。
本店って名前だけあって、グループ内で一番忙しい店舗で社長も社長夫人もいる環境でした。
従業員も前の店舗の4倍くらいいます。
わたし勘が当たりやすいというか、霊感のある人に念が強いといわれるんですが、いつか本店異動の話が来るんじゃないかって思ってたらそうなったんですよね。
こういう事今までにも何度かあります。思ってたらそうなるってやつ。
本店に異動になると、今までいた店舗が幻?って思うくらい何もかも違って焦りました。
これはイカンとそこでも必死に食らいついて頑張りました。
本店はお局さんが2人もいて、その2人も仲が悪いんで大変です。
1人は最初の店舗のお局さんみたいに仕事を抱え込むタイプ。
もう1人は取っ付きにくくて好き嫌いが激しいタイプ。
とにかくその2人とコミュニケーション取りました。
答えが分かってることでも敢えて教えてくださいって聞いたり、率先して動いたり。
毎日バタバタ忙しいなかで、半年くらいで2人から良くしてもらえるようになりました。
他の人たちはみんな『本店やだ。他の店舗に異動したい』っていうけど、わたしはずっと本店でもよかったです。
人数が多いので休みも取りやすかったし、人間関係もお局2人以外はみんなよかったので。
そんな本店に1年チョットいましたが、また異動することになります。
そしてこの異動の少し前に旦那と結婚して、旦那のおばあちゃん家(母方)に同居することに。
旦那、わたし、旦那のばあちゃん、旦那のおじさん(知的障害者)の4人暮らしです。
旦那の父母、旦那の姉(未婚)は車で10分ほどの距離にある旦那の実家にいます。
まぁこれだけ見ると『どういうこと?』って感じの配置ですよねw
④またも異動 次はとにかく気の強いお局さん降臨
今度はまた別の店舗に異動します。
今までいた2店舗と比べると、むちゃくちゃ暇な店舗でした。
また事務2人、薬剤師2人体制の店舗です。
業務自体は暇で、のんびりした環境だったのですがお局さんいます。
もう、どの店舗行ってもお局さん必ずいるから面倒!w
そのお局さんはとにかく気が強くてワガママでした。
この店舗の居心地がいいのか異動の話を全て断って、ずっと居座っている人です。
本来異動って会社命令だから断れないはずなんですけど、そのお局さんは断りますw
だからその店舗の業務システムはお局さんのやりたい放題でした。
気に入らないと黙っていられない人で、薬剤師の先生にもよく食って掛かってました。
今まで接してきたお局さん達とは違って、とにかくなびかない人だったのでわたしは淡々と業務をこなす日々です。
業務を自分で囲いたいのか、やってもらいたいのか良くわからない人だったので下手に動けませんでした。
そういうところにもワガママが出ていたように思います。その時の気分で考えが変わるというか。
そんなどっちつかずな日々が毎日続くと、ストレスは溜まります。
そしてこの店舗に異動したころから、家でも色々な問題が起こります。
嫁ぎ先のストレス
①おじさんと姉の入れ替え
そしてこの頃、家の方でも色々面倒なことが起こりこっちでもストレスがかかります。
結婚した当初は旦那、わたし、ばあちゃん、おじさん(知的障害)の4人住まいでした。
まぁそもそもこの時点でストレス沢山ですけどねw
ばあちゃんは足が悪く動くのがやっとの状態で、おじさんの面倒が見れなくなっていました。
おじさんは知的障害で分別もつかないため、常にばあちゃんの奴隷です。
そんなおじさんは障害者枠での仕事をしているので、微々たるもんですが稼ぎはあります。
朝6時過ぎに家を出てバスで会社まで行き、帰ってくるのは忙しい時期だと夜11時過ぎることもしょっちゅうです。
そんなおじさんに対しばあちゃんは、冷凍食品しか食べさせない、休みの日でも朝早く起こして自分のやりたいように動かすという日々を強いらせていました。
もちろんおじさんは分からないので言われる通りです。
でも人間ですから体が疲弊していってるのは見ていてわかります。
それを見かねた旦那は、おじさんの姉である旦那の母に相談し、ばあちゃんとおじさんを離した方がいいじゃないかっていう方向で進みます。
誰もが気付くと思いますが、『そもそもうちらじゃなく旦那の両親が2人と一緒に暮らせばいいじゃない』って話です。
でもうちは色々あるんです。すんなりそう動けない要因が。
それも旦那の両親がやらなきゃいけないことから逃げてるからなんですけどね。
まぁそれは置いといて、家族で話し合った結果、おじさんの面倒を姉である旦那の母が見るという事に決まりました。
おじさんを旦那の実家に移動させることになったのですが、部屋がありません。
そのため、実家に住んでいる旦那の姉とおじさんを入れ替えすることになりました。
で、今の状態、旦那・わたし・旦那のばあちゃん・旦那の姉の4人生活がスタートします。
②自分たちの家を建てるために古い家を片付け始める
おじさんが旦那の実家へ行き、旦那の姉がこちらに来ました。
正直、義理の家族とは割と仲良くやらさせてもらってます。
こんな家によく嫁に来てくれたと大切にしてもらってはいます。
ですがかなり密でややこしい環境なので、口で言うのは簡単ですが実際ストレスは半端ないですねw
現在住んでいるばあちゃん家の隣には古い家があります。
もともとばあちゃんと亡くなったじいちゃん、旦那の母、おじさんが住んでいた家です。
それを壊してわたし達の家を建てたらそっちに引っ越して、旦那の実家にいる3人がばあちゃん家に引っ越してくる。
敷地内でみんなで一緒に暮らすというのが旦那の考えです。
そのためには古い家を壊す必要があるのですが、旦那以外の家族は誰1人動こうとしませんでした。
結婚する前までに片付いていれば、すぐに家を建ててみんなで暮らすことができたのに、面倒なことを後回しにしてきた結果今の状況。
ハッキリ言って嫁いできた私が古い家の片づけをする義理はありません。
ですが古い家を片付けない限り、わたし達の家はいつまで経っても建てれない。
だから本来わたしがやることではないですが、古い家の片づけを始めました。
③家のストレスが拍車をかけて攻撃してくる
調剤薬局とか病院って昼休憩が長いんですよね。2~3時間くらいあったりします。
午前中仕事をしてお昼に家に帰り、晩御飯の支度をしてから古い家の片づけをし、ちょっと休憩してまた午後の仕事に戻るって生活を2ヶ月続けました。
晩御飯も、ばーちゃんは変化を嫌う人なので若者の食べるものが苦手です。
旦那の姉は、好き嫌いが激しいです。
そんな2人の要望に沿うように晩御飯を作るんですが無理があります!w
結局作っても食べなかったり残したり、なかなか難しい日々が続きます。
ばあちゃんも元々料理をする人ではないので、本当はこの家の味付けとか教えてほしいんですけど聞いても『なんでもいい』しか言いません。
足も悪いのでちょこまか動かすわけにもいかないので、分からないなりに作るのですが残したり陰で姉に文句を言うそうですw
なんでもよくないじゃん!w
旦那の母に味付けとか聞いても、目分量で分からないとしか返ってこず。
姉も食べ物に対して好き嫌いが激しくワガママなので、いろいろ気を使います。
旦那はわたしを手伝ってくれますが、旦那も仕事の帰りが遅くてなかなか手伝える環境ではないです。
旦那も疲れてますしね。
④旦那が転職するも、わたしの体は待ってくれなかった
このままじゃわたしが潰れると思い、旦那は転職してくれました。
そのおかげで晩御飯の支度を手伝ってくれたり、息抜きできる時間が少しとれたのですが、時すでに遅しだったんです。
古い家の片づけをしている頃から、めまいがするようになりました。
動けていたのでだましだまし片づけと仕事をしていましたが、だんだんめまいがヒドクなってきます。
そして仕事にも影響が出るようになりました。
PCを見ると気持ち悪くなり、日光や蛍光灯の光を嫌がるようになり、目がフリーズするように。
仕事を早退することが増え、病院にも行きましたが原因不明。
『家にも職場にも迷惑がかかるから休めない、でも動けないからどうしよう。』
うちは経済的にもストレスのかかる家で、わたし・旦那・姉の3人の収入で旦那の家族全員をまかなっています。
みんな低賃金なのでカツカツです。
そんな状態なのにわたしが仕事を辞めてしまったらと考えると、ますます辞めるわけにはいきません。
そんな事を考えていたら、どんどん精神が崩壊していきました。
⑤仕事を辞めると決心する
これはマズイと思い、勇気を出して旦那と旦那の母に相談します。
『1週間仕事を休もうかと思う』というと、旦那は『最悪辞めてもいいんだよ。何とかなるで大丈夫』といってくれました。
旦那と旦那の母は、うつ病経験者です。わたしの状態を誰よりもわかってくれました。
次の日会社に状況を伝え、1週間お休みをもらって様子を見ることに。
案の定体調は戻らず、めども立たないため会社に相談します。
会社側は治るまで休んでもらって構わない、パートや時間給で働くって提案もしてくれました。
けどいつ治るかも分からない、治っても今の環境が変わらなければまたぶり返すことは分かっていたので、わたしは辞める選択肢を取りました。
急に辞めることになって、会社側にはすごく迷惑をかけました。
一緒に働いていたお局さんにも嫌味を言われましたがしょうがないです。
この先まだ長いし、子供だって欲しい。
でも今のままだと体も心も壊れてしまうと思い、自分を優先したまでです。
⑥光を避けるため暗闇での生活がスタート
仕事をやめてから家事を旦那にまかせて、わたしは1日中寝るかぼーっとするかしてました。
光がダメになってしまった為、テレビ・PCは全く見れませんでした。
もちろん外に出たくても出られません。
謎ですけど唯一スマホだけは見れたので、たまーにスマホ見たりする程度。
1日中カーテンを閉め切り、暗闇の中で生活。
夜もサングラスをつけて晩御飯を食べました。
『これからどうしよう』
という不安はずっとあって、働きたくても働けない状態をすごく不便に思っていました。
⑦たまたま見たスマホのニュースが転機になる
不安な毎日を送っていたころ、たまたま見たスマホのニュースに目が留まります。
ブログやSNSでコミュニティーを作って自分のやりたいことを仕事にしている人の話でした。
その子はわたしよりも年下で、うちの旦那と同じような考え方をしているなぁと読んでいて感じました。
それからその子のブログを読み、『これだ!』と思ったのを覚えています。
わたしの中のやる気スイッチが押された瞬間ですw
今思うと、スマホだけ見れる状態だったのも何かの縁だったのかなって感じます。
それから調べれるだけ情報を集めて、旦那に話をしました。
わたしが経験してきたこの人生が他の人の役に立つのかもしれないと。
旦那はすんなり賛成してくれました。むしろわたしにはそういう方があってるんじゃないかって。
⑧やりたいことができたら、体調がみるみる回復していった
ふしぎなもので、やりたいことが見つかって動き出したら体調が少しづつ回復してきました。
旦那にそれを話したら、『自分がうつ病だったときもそれがきっかけで治ったんだよ』
って言ってました。
生きる目標が生まれると、人間てすごいパワーが出るんですね。
その他にもふしぎな事がありました。
体調崩してから、3人の友達に会いたいなぁと思っていたのですが。
自分がたまたま出かけた先でそのうち2人に遭遇し、残り1人も別の日に遭遇しました。
わたしは今まで出先で友達に出くわしたことがありません。
そんなわたしが、会いたいと思った数日後に一気に全員と会うなんてビックリです。
なんだか頑張れって言われているような気がしました。
今現在も体調は完全に治っているわけではないです。
PCもサングラスをかけないと見れないし、長時間はムリ。
もちろん家の事もあるので、旦那や旦那の姉と協力してちょっとずつ手伝うようにしています。
本当はがんがんブログの更新をしていきたいのですが、それをすると再起不能になってしまいますw
なので普通の人よりペースは遅くとも、着実にブログ生活を送っていきたいと思っています。
そしてこれがきっかけで、「じぶんノート」を始ようと思いました。
よかったらこちらの記事も読んでみてください。
ちなみに結婚するまでにも一悶着あったので、またその辺は結婚したい人向けにブログを書いてみようかと思っていますw
長々ありがとうございました。
ブログをはじめた事で自分のチャレンジ精神に火が付いた!
ど素人がクラウドファンディングにやりたいことを相談してみた。