めがねこブログ

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義父母|夫の家族|義理の家族と同居解消しました(1)

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めがねこ(@meganecco_kana)です。

 

結婚して3年半の間、夫の家族と同居してきました。

が、H31.3月に突然ですが同居を解消することになりました。

 

これまで3年半、義家族との同居を夫と共に一生懸命こなしてきましたが、

努力の甲斐なく突然終わりを告げました。

 

同居解消に至った経緯と、一連の出来事を経て思ったことをつづります。

同居解消に至るまで

これまでわたくしめがねこは、

日々の同居生活の中で得た知識や知恵、

義理の家族との接し方なんかを沢山の失敗を通して学んできました。

 

それをもとに少々ニッチな切り口で記事にしてきたりもして。

 

一応リンクを貼っておきますので、興味のあるかたはどうぞ↓↓

www.kusomeganechann.com

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読んで分かる方には分かると思いますが、

世間一般的な姑の悪口だったり不満を書いているわけではありません。

 

どうしたら良好な関係を築けるのか、お互いに我慢するところは我慢し、

必要の無い我慢はしないように生活するにはと日々考えていました。

 

嫁の立場優先ではなく、わたし達夫婦を含め家族全員のより良い未来を見据えてきたんですよね。

 

夫と共に、沢山努力してきました。

 

まぁそもそも、以前記事でも書きましたが夫の家族はハッキリ言って大人としての自覚がありません。

家族の役割が破綻していました。親・姉・祖母、皆立場を無視した一家です。

息子(わたしの夫)に依存し、何か問題が起こればすべて息子に対応させる。

夫も優しいので、これまで不満は漏らしても家族だからと対応していましたが、

堪忍袋の緒が切れて今回の結果に至ってます。

 

こちらの記事が同居解消になる直前に我が家で起こったことです↓↓

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夫は20代前半に鬱病にかかっていますが、鬱病になった原因の8割は家族にあります。

 

あとの2割は夫自身が人間としてまだまだ未熟だった為に、

自分自身を追い込んでしまっていたところにあると本人は言っています。

 

小学校の高学年ころから、自分の両親は親として崩壊していると思うようになったらしく、そこからズーーーっと心に悩みを抱えて生きてきたそうです。

 

わたしと結婚することでこの家に新しい風が吹き、

家族それぞれの立場を自覚して変わっていくことを夫婦で願って同居してきましたが、

残念ながら結果は全く変わりませんでした。

夫の両親は我慢ができない子供

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同居するうえでというか、人間生活をするうえで我慢って大切です。

 

結婚生活でもお互い我慢すべきところは我慢するし、友人関係でもそう。

人間が他の人間と共にする際には、お互いの落としどころを見つけて関係を築いていくものです。

 

このお互いの落としどころを協力して見つけていくということが、夫の両親はできませんでした。

 

自分がやりたいことはやりたい、やりたくないことはやりたくない。

やりたくないことはお前たちがやればいい。

 

直接こういわれたわけではありませんが、その人の言動を見ていればわかることって沢山ありますよね。

 

わたしは結婚してすぐ夫の祖母(姑の母)と、その息子(姑の弟で知的障害者)と同居していました。

もうこの時点でおかしいです。

 

なぜ実の娘である姑が一緒に暮らさないの?

 

わたしも夫もさんざん周りから言われました。

 

夫の祖母は、この家の中で1番の問題児です。

周りに合わせることができない性分、頑固で自分勝手な人間。

年寄り扱いされるのを嫌うくせに、都合が悪くなると年寄りを武器にしてきます。

 

姑は実の母であるこの祖母が嫌いで、一緒に住むのを拒み続けていました。

その理由は自分が自由にできなくなるから。

現に姑は実の母から逃れる為に結婚をしています。自由を求めて。

自由を求めて結婚すること自体、大間違いですけどね。

そして舅も同じく義理の母にあたるこの祖母が大嫌いで、夫婦そろって祖母から逃げています。

 

80代半ばの祖母と知的障害のある50代前半の息子2人では生活がままならず、

本当なら夫の両親が2人の面倒を見るのが世の順番というものですが、

当の2人は自分たちの自由がなくなるのが嫌で、それを我々息子夫婦に押し付ける形をずっと取り続けてきました。

 

変な話、いつも大姑と姑の間にわたしが入ってたんです。

普通は大姑と嫁の間に姑が入りますよね。懸け橋になるのは姑のはずです。

ですが姑はわたしを盾にして大姑と接していました。

夫はそんな状況を見て、心情穏やかであるはずがありませんでした。

1か月と持たなかった3世帯同居

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わがままな大姑の対応・知的障害者の叔父の世話・仕事に毎日追われ、この3年半子供を作る余裕など皆無でした。

というか子供を作る気持ちにならないです。

それでもやはり我々夫婦は、自分たちの子供を作るという希望は捨てていません。

 

わたし自身夫の両親や姉と仲が悪かったわけではないですし、夫の家族がやってこなかった事を嫁のわたしがやっているのもあって、待遇は良くしてもらってました。

夫も立場的には子供なのに、親よりも親の役割をしていたため、夫がこの家の主導権をしっかり握っていましたし。

 

なので祖母と叔父を抜いた家族全員で何度も話し合いをし、家族全員協力して問題児の祖母を見ていこうという形になんとか持っていくことができたんですよね。

そうすれば早く孫の顔が見れるかもしれないよと。

 

そしてH30.年末に、我々が住んでいる家に夫の両親が移り住んできました。

これでやっと本来の立ち位置に戻ってスタートが切れると思っていました。

 

が、共同生活は1か月と持ちませんでした。

 

姑は今まで母親から逃げてきた分対応に手こずり毎日イライラ。

そして何より姑は家事が苦手で、というか家事からも逃げて生活していたため、

わたしより上の立場になろうにもわたしより何もできなくて立場がない。

姑に家事を任せ、わたしはサポート役に回ったのですが、姑に舵取りはムリでした。

 

結果たった2週間で家族中から不満が出て姑は叱られ、それが嫌でわたしの名前を出しては逃げていました。

こうして1か月も経たずに姑は自分の役割を放棄したため、

 

母親としての自覚が無いならこの家から出ていけ。

 

と夫は姑に言い放ち、姑は見事に出ていってしまいました。

2週間後、それに続くように舅も祖母との生活が嫌で出ていきました。

結局嫌なことは息子夫婦に押し付けて出ていったんです。

そのくせ早く孫が見たいだのなんだの、いっちょ前なことは言っていましたが。

 

ハッキリ言って、何もかもから逃げてきた人間が、逃げずに生活してきた人間に勝てるわけがないんです。

たとえわたしが嫁であろうと、夫の祖母との生活が苦行でも耐えて生きてきたのだから、わたしに実力がつくのは自然の摂理ですよ。当たり前です。

夫と共に頑張ってきたんですから。

そりゃ祖母の扱いも我々のほうが上手くなりますよ。

それが気に入らないのなら逃げずに自分も耐えればよかったんです。

それすらしないで嫁が出しゃばるなだの何だの、息子のくせに親に対して何だのかんだの。

夫とわたしには負け犬の遠吠えにしか聞こえません。

 

そんなこんなで3世帯同居は、たった1か月で終了したのでした。

 

そして嵐のような日々はここから急激に加速していきます。

 

次へ続く