めがねこ(@meganecco_kana)です。
ここ最近、自分自身の数々の失敗を通して学んだ【失敗学】みたいな物を記事にしてきました。
2つの記事の中でも話していますが、同じ失敗を防ぐためには自分の目を鍛えることが大切です。
他人の知識や意見でなく、自分の目で見て感じた物を信じて蓄積させていく。
これが死ぬほど大切。
そして今回は、実際に自分の目で物事を計るようになったわたしが、つい先日亡くなった自分の祖父の死を通して感じたことをつづりたいと思います。
これまで思っていた祖父母の像と、本当の祖父母は全く違っていました。
祖父母の印象は悪かった
わたしは小学校5年生の夏まで、祖父母と同居していました。
わりとおばあちゃん子で、祖父とはそこまで密に話した記憶はありませんが、ちょくちょく祖父母と一緒にスーパー銭湯に行ったりした記憶はあります。
しかし同居していても、めちゃくちゃ関係が深いわけではありませんでした。
その原因はわたしの両親にあります。
わたしの祖母は少々神経質すぎるところがあり、そのせいでうちの母と嫁姑関係が上手くいっていませんでした。
そして祖父はそんな祖母を放任しており、あまり相手にしていなかったんです。
祖母と母親の関係が良くないのは子供ながらに分かりますし、現にちょくちょく父親含めて大喧嘩になることもあったため、母親の手前あまり祖母と仲良くするのは気が引けたんですよね。
だから小さいながらに自分の両親と祖父母の両方に気を使って生活していました。
親の価値観で祖父母を見ていた10~20代
小学校5年になると、たびたび起こる両親と祖父母の大喧嘩の内容が分かるようになります。
そして怖くて泣く事も多くなり、環境的によくないと思った両親は祖父母と別居することにしました。
別居と言っても同じ町内で、歩いて5分くらいの場所にあるアパートに引っ越したんですが。
それからは母親もストレスから大分解放され、喧嘩もなくなって新たな生活が始まったって感じでしたが、歩いてこれる距離のため祖母は頻繁に顔を出します。
子供のわたしは母親が話す祖母の不満や、祖母に対する父親の態度などを見て成長してきたため、両親と同じように祖母を見るようになり、また祖父への感情も同じでした。
だんだん祖母をうっとおしく感じるようになり、顔を出す祖母に冷たい態度を取っていましたし、平気で追い返すこともしばしば。
もう完全に母親の見方です。
親戚も祖父母を避けていた
わたしの父親は3兄妹の長男で、姉と妹がいます。
3人からしたら実の母に当たりますが、その3人とも祖母をうっとおしく感じていました。
なので親戚で集まっても祖母に対する態度は皆冷たく、わたしと同じように従兄妹達も祖母に対して冷たかったです。
皆うちと同じで親と同じ感情を持ってしまったんですよね。
従兄妹が順に中学校に上がっていくと、祖母に会いに来る孫は内孫のわたしと兄だけになりました。
親戚が集まっても互いの家の話や仕事の話は極力せず、うわべだけの集まりが毎年開かれ、早々にみんな退散するという流れが毎度お馴染み。
深く話をしてしまうと祖母が過剰に反応してしまうことがあり、それが面倒でみんな自分の話をしないようにしていたんです。
わたし自身も、祖母と話をすることで下手なことを言ってしまっては親に迷惑が掛かると思い、長話を避けて会話を遮ったり怒って会話を中断するのが日常だったんですよね。
結局、子供は親と同じ行動をとります。
結婚後、祖父母に対する考えが変わる
結婚をきっかけに、自分の祖父母ではなく夫の祖母と同居する生活を経験しました。
ハッキリ言って、夫の祖母はわたしの祖父母よりも厄介です。
ですがそんな祖母に対し、夫は常に正直に真っ直ぐ接していたんですよね。
それはわたしやわたしの家族、親戚が取ってきた態度とは180度違っていました。
年を取ってひねくれてしまった夫の祖母ですが、昔はそうではなかったと夫は言います。
夫の場合、母親の仕事が夜遅くまでになるのが日常だったので、祖母が母親代わりでした。
夫曰く、
「育ててもらった恩は絶対消えないよ。だけど、ばーちゃん個人のわがままは絶対に許さないように接しとるだけ」
と夫は話していました。
結婚してからはわたし自身も夫の背中を見て、夫の祖母と正直に接するようになったのですが、そういう生活の中でふと気づくことがあったんです。
わたしは祖父母と1度も向き合ったことがない。
よくよく考えてみれば、祖父母と関係を持つことが面倒で、自ら避けて生活していました。
だから祖父母がわたしに話す言葉を、ちゃんと聞いてあげることがなかったなと気づいたんです
そしてそう感じた頃、祖父の病気が発覚しました。
わたしの祖父母は本当は優しかった
わたしの祖父は、胆のう癌でした。
見つかったときの年齢が91歳だったのもあり、手術はせず、自然に任せるという決断を祖父自身がしました。
それからはちょくちょく祖父の顔を見に家に行くようになり、頻繁に夫も一緒に連れていきました。
祖父は数年前に軽い脳梗塞で倒れ、その後遺症で言葉を上手く発することができません。
それでもわたしと夫が遊びに行くと、嬉しそうにニコニコ笑い、元気な姿をいつも見せてくれていました。
今思えば、わたしを心配させないように振舞ってくれていたんだと思います。
わたしの祖父母は、わたしの夫の事をとても気に入ってくれていて、遊びに行くと手厚くもてなしてくれました。
今まで話したことがなかった会話をしたり、祖父母の昔の話を聞いたり、わたしの知らない祖父母がそこには存在していてとにかく新鮮なことばかり。
もちろんわたし1人で祖父母の家に行くこともありましたが、その際は特に祖母と沢山話をしました。
ずっと親の顔色を伺って祖母との会話を避けてきましたが、関係なしに沢山沢山祖母と関わりました。
そして自分で確信したのは、
祖父母は、親が言うほど厄介な人ではない。
ということ。
むしろ親よりも優しく、昔かたぎなだけ。
小さい頃から知らず知らずのうちに親の先入観で祖父母を見ていて、同じように感じ、接してしまっていたんです。
本当の祖父母を知るために自ら進んで関わることもなく、自分の祖父母は面倒な人間だと勝手に決めつけていたんですよね。
やっと初めて自分の目で祖父母を見たんです。
祖父は亡くなる直前まで優しかった
病気が発覚してから約1年ほどでしょうか、祖父は懸命に生きて、息を引き取りました。
会うたびに祖父は痩せて小さくなっていきましたが、いつも元気に振る舞ってくれ、わたしの前では辛そうな素振りを一切しませんでした。
亡くなる直前に祖父は入院したのですが、家に帰りたい気持ちもあり、暴れて点滴を抜いてしまった為に手を縛られていました。
やはり自分の家族が縛られるのをみるのは辛いです。
なによりも祖父自身が縛られることを嫌がっていましたし。
面会中は拘束紐をはずしますが、帰る際にまた看護師に縛ってもらわなければいけません。
なのでわたしはお見舞いに行った時、祖父に帰ると伝えるのが嫌で泣いてしまったんです。
そんなわたしを見た祖父は、わたしを呼んでそばに来させ、わたしの手をギュッと力強く握りました。
そしてわたしの夫もそばに呼び、同じように夫の手もギュッと握ってくれました。
辛抱、辛抱。
上手く話せない祖父が、その時わたし達に言った言葉です。
祖父はそう言って、わたし達夫婦を力強い眼差しで見ていましたし、特にわたしの夫をしきりに見つめていました。
これから先、どれだけ辛いことがあっても、二人で耐えて乗り越えて生きて行けよ。
そんな風に祖父から言われた気がします。
夫自身も、孫を頼んだぞと言われた気がすると話していました。
そして更に祖父は、縛られるのが嫌なはずなのに自ら進んで手を縛ろうとしました。
わたしのためにそうしてくれたんだと思います。
こうやって祖父が亡くなる前に祖父に対しての考えを改めることができ、少しの間だけでも祖父と密に接する機会が持てて本当によかったです。
【まとめ】自分の目で確かめることが大切
祖父が病気になったのをキッカケに、自分の祖父母と深くかかわるようになりました。
これまでは親から見た祖父母の像を、自分が見てきたものだと思い込んでいましたが、実際に自分の目で見て感じた祖父母は全くの別人でした。
お互いに無関心そうな祖父母夫婦でしたが、祖父が亡くなった時に祖母は寂しいと大泣きしていましたし、それを見ていてただ単に不器用同士だったんだなって今は理解できます。
昔の人は今の人みたいに多くを語りませんし、自分のやり方を突き通す部分がありますしね。
自分勝手にやっているように見えもしますが、うちの祖父母の中にはお互いを思う気持ちがちゃんと存在していました。
夫と出会って結婚し、夫の祖母と一緒に暮らす経験をする。
そしてわたしの祖父が病気になって、祖父母と密接に関わるようになった。
なんだか全て繋がっているように感じるし、なるべくしてなったのだなと思います。
なによりも祖父母を誤解したまま祖父が亡くなっていたら、自分は間違いなく不幸な人間です。
その時後悔しても遅いんですから。
こうやって色んな思い込みという呪縛から離れ、自分自身の目で物事を見極めることがいかに大切かが今回身に染みて分かりました。
知らず知らずのうちに世間の常識に飲み込まれ、個人の意思というものが埋もれてしまっている世の中ですが、そこにいても何の幸せもありません。
本当に幸せになりたいと思うのであれば、自分の目を養い、五感を鍛え、強い意思をもって生きてください。
自分を幸せにできるのは誰かではなく、自分しか絶対いないのですから。