めがねこ(@meganecco_kana)です。
前回、失敗はなぜ起こってしまうのかというお話をさせて頂きました。
こちらをご参照下さい↓↓
自分自身が自分を正しく認識できておらず、実際の自分と頭の中での自分の間に誤差が生じてしまう。
それがミスに繋がり、結果失敗が起こってしまうというお話でした。
そして今回は、【失敗】という機会は何のために与えられているのか、またどうやってその機会を活用すればいいのかをお話しします。
いわゆる失敗との向き合い方についてです。
失敗とは定期的に行う掃除の場
これまで生きてきて、特にわたしは結婚してから沢山の失敗を経験しました。
何度も何度も同じ失敗を繰り返し、そこから先へ進めない辛さを抱えていましたし、
気持ちを新たに取り組みだしても長期的に集中力が持たなかったりもして。
自分に嫌気がさして、自分が1番自分自身を信用できなくなりました。
そしてこのように失敗ばかり繰り返している時、その張本人の頭の中はというと、
~でなければいけない!
という考え方にもの凄く縛られてしまっていることが多いんです。
また、本人が1番それに気づいていません。
自分自身をもの凄く窮屈にしてしまっているんですよね。
失敗をしてしまう1番の原因は、根拠のない間違った知識を、正しい!必要なものだ!と思い込みすぎているところにあると思います。
そしてそれを自分の中から捨てる作業をしない限り、失敗を成功につなげることはできないんです。
不要なこだわりを振り落とす
何度も失敗を繰り返す中でわたしが気づいたことは、
失敗は、自分が今持っている不必要な考え・こだわりを振り落とす為に与えられた場なんだなという事。
自分の中を掃除する場ですね。
例えば登山をする場合、沢山の荷物を抱えて山を登るのって凄くキツイです。
頂上目指して一生懸命登っても、自分が抱える荷物があまりに多すぎて体力も気力も持たない。
結局頂上まで登れず、途中で挫折してしまった。
これと失敗のメカニズムは同じなんです。
目的や目標に対し、何が必要で何が不必要かが分かっていれば、荷物が無駄に多くなることはないですよね。
ですが失敗に向かう人は、何かの目標に向かって進んではいるものの、要る要らないの判断が正しく行えない為に、要らないものも沢山抱えてしまうんです。
つまり自ら進んで窮屈な環境を作り、より早く・より重く自分に負担をかけている状態と同じなんですね。
だから目標に到達する前に体力・精神共に疲れてしまい、結果失敗するんです。
自ら進んで過酷な場所に向かう姿勢は素晴らしいと言えますが、そういう人はこれから行く場所が過酷な場所だという事をしっかり認識していて、必要なものも分かっています。
だから成功するんです。
ですが失敗してしまう人は、【過酷】がどれだけ大変な場なのか自分で正しく計ることができません。
なぜなら自分の実力を正しく認識できていないから。
じゃあどうやったら同じ失敗を繰り返さず前に進めるのでしょうか。
その為には、
不要な考え・こだわりを振り落とす。
この作業を常日頃からしなければいけません。
失敗は、この作業を行うために与えられる大切な機会なんですよ。
まずは自分が正しいと思わないで
前回の記事でもお伝えしていますが、人間は不完全であり完璧にはなれません。
完璧な人がいると思うなら、それはあなたにはそう見えるというだけです。
それを大前提として念頭に置いておいてください。
人って生まれてからまず自分の親に育てられますよね。
そして家族・環境・社会にも育てられます。
その中で得た知識・情報をもとに、自分という人間が作られていきます。
もちろん、親・家族・環境・社会から多くのことを学びますし、それは大切なこと。
ですが、先ほども言った通り、この世に完璧な人などいません。不完全です。
で、この世の中はその不完全な人間が作り上げてきています。
だから、これまで自分が得てきた知識の中に、間違った常識や知識が入り込んでいる可能性は大いにあるんです。
わたし自身の例で言えば、これまで自分の祖父母の事が嫌いでしたが、実はそれは親から植え付けられた感情でした。
自分の中から湧き出た感情だと思い込んで祖父母と接してきましたが、本当は違ったんです。
詳しくはこちらをご参照ください。
よく、「常識的に考えて」とかいいますが、その常識って本当に正しいのでしょうか?
もしかして間違っている可能性はありませんか?
間違っている可能性がゼロでない限り、正しいとは言えないんですよ?
こうやって考えると、自分を形成してきたもの全てが不安定になりますよね。
何が正しくて何が間違いなのかすら分からなくなります。
まずは、そう感じることが大切。
その不安が大きければ大きいほど、それだけ世の中の常識というものに縛られていたということなんです。
ですがそれと同時に、これまで自分が正しい・正しくないと思ってきた人や物事に対し、「もしかしたら自分が間違っているのか?」と思うようにもなってきませんか?
そしてこれは、自分の目で物事を判断しようとしている証拠なんです。
これまでは、親・家族・環境・社会から受け継いだ目で物事を見ていました。
そこに自分の目というのはあるようで無いんです。
もちろん、中には子供の時から自分の目で判断できる人もいますけどね。
だから親から言われたこと、社会の常識を正しいと思い、その目で世の中を見てきていたんです。
そこから解放されることが凄く大切で、解放されて初めて「自分は思っているより正しくないのかもしれない」という考えを持てるようになるんです。
なので、これから人の話を聞くときに心がけたいのは、
人で判断せず、その人の言葉・行動で判断する。
なんでも初めから決めつけずに、その人が言う言葉とその言葉に対する行動が伴っているかで判断する。
そうやって自分の目でしっかり物事をみて判断していくと、180度見方が変わったりもします。
やるか、やらないかだ。
ここまで失敗をどう活用していくかお話しましたが、この記事の中で1番重要なのがココです。
わたしもそうでしたが、失敗続きで何も成長できなかった時、
毎回のように「次は絶対できるように頑張る!」って言ってました。
これが大きな間違い。
よく「~できるようになりたい!」とか、
「〇〇までに△△をできるように頑張る!」とか宣言しますよね。
ハッキリ言って、
できる・できないじゃない。やるか、やらないかです。
宣言なんて必要ないんです。そんなもの自分の心の中にしまっておいて下さい。
大切なのは、思ったことを実際にやるかやらないかだけです。
言葉に出す事よりも、結果を出す事の方が重要。
なので、何度も言いますが自分の人生を豊かにしたいのであれば、自ら進んで自分の中にある余分なものを捨てる覚悟を持ちましょう。
その中で1番簡単で1番やらなければいけない事は、「自分が正しい」と思う考えを捨てることです。
ここで みなさんに1つ質問があります。
よく、「普通○○だよね~」とか言いますよね?
その「普通」っていったい何ですか?何を基準に言ってますか?
世間一般の基準ですか?じゃあ世間一般の基準とは何ですか?
こうやって理論で攻めていくと、大半の人は何も答えられなくなるか逆ギレします。
なぜ言葉に詰まったり逆ギレするのか。
それは、「普通」というものが分かっていないから。
つまり何が言いたいかと言うと、普段から自分が使っている言葉の大半を、ちゃんと理解できていないということ。
何の根拠もない自信を持って生きているんです。
そしてそれが、捨てるべき考えやこだわりです。
【まとめ】自分の目を育てましょう
わたしは今現在31歳です。
31年間生きてきて、やっと自分の目で物事を判断できるようになってきたのはここ最近の話。
それまでは親の価値観や世間の価値観に縛られていました。
それに気づかせてくれたのは夫ですが、本来ならば自分で気づきたかったところです。
ですが先ほどもお話した通り、人間は完璧ではないし、1人では生きていけません。
だから頼るべきところは存分に頼っていいんです。
そしてそういう判断も、自分の目を育てていかないとできませんでした。
わたし自身、現在進行形で自分の中の不要なものを捨てる作業を日々しています。
自分は完璧ではないし、完璧になるのは無理。
だから完璧になろうとするのではなく、完璧に近づけるように意識すればいい。
そうやって普段から肩の力を抜いて、まずは何でも受け入れてみるようにしています。
そうすると、自分のなかでこれは正しいのか・間違いなのかを判断し、随時決着をつけて分別するようになります。
ここまできてやっと自分の目が育ち、正しい目で自分を見ることができ、課題や問題が出てきても失敗することが減っていくようになるんです。
今回はちょっと難しい話になってしまったかもしれません。
ただ、この記事が何か自分の目を育てるキッカケとなり、たった1人でも身軽になる人がいればイイなと思っています。
長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。