人間関係でお悩みをお持ちの方、こんな記事もありますので、気が向いたらどうぞ。
どうも、めがねこ(@meganecco_kana)です。
今回の題名だけ見ると、
オイオイ大丈夫か?!って思われるでしょうが、
当の本人は結構気楽なもんなのでご安心を。
みなさんは、家族の誰かに死にたいって言われたことありますか?
そしてもし言われたとして、どう思いますか?
実際に経験したわたしがその時気づかされたこと、
今回はそのすべてをお話します。
ちなみにわたしの意見には賛否両論あると思います。
みなさんが感じたままに、思うままに考えて頂ければと思います。
夫が死にたいと言い出した理由
神様は自分が乗り越えれる試練しか与えない。
— めがねこ@かなちゃん (@meganecco_kana) 2019年2月20日
足の悪いばーちゃんと知的障害のおじさん、
この2人を置いて義理の両親が出ていった。
残された私ら夫婦と旦那の姉。
え、乗り越えれるの?!ww
本当に?!ww
笑っとけ、笑っとけー!www
そもそも夫が死にたいと言い出した原因は、
夫の家族にあります。
夫と結婚してもうすぐ3年になります。
結婚と同時に夫のおばあちゃんとおじさん(知的障害者)と同居でした。
長くなるので割愛しますが、
その後紆余曲折あって義理の姉も同居する形で暮らしていました。
ん?旦那の両親はなんで一緒じゃないにゃ?
普通そう思いますよね。
そこがこの家のおかしなところなんです。
夫の両親は親という自覚無し
そもそもわたしは夫の家に嫁ぎました。
しかし暮らしているのは夫の実家ではなく、お姑さんの実家。
お姑さんの母親であるばーちゃんと、
お姑さんの弟である叔父さんの世話を夫とわたしがしています。
そしてそれを夫の姉も手伝ってくれています。
え、なんで孫の代が飛び越えて世話を…?
答えは簡単。夫の両親はやりたくないだけなの。
夫は小さい頃から、
両親のおかしな部分と付き合ってきました。
そして本人たちがやるべきことから逃げないために、
あらゆる方法を試してきました。
夫は自ら厳しい状況に身を置いてさまざまな知識を取り入れたり、
人を動かすためのノウハウや知恵をたくさん勉強し、実践し。
いわゆる人生勉強ですね。
そうやって現状をどうやって脱却していこうか常に前向きに考えていました。
今もそれは変わっていません。
ようやく家族全員で暮らすも2週間で終了
夫の努力の甲斐あって、
結婚して3年目になる今年の1月に家族全員で同居がスタートしました。
しかしながら現実は・・・
本来であれば嫁の立場は低いもの。
嫁いできたよそ者は発言権などない扱いですよね。
夫の両親はわたしに対して世間一般的な嫁を求めてきました。
ですが我が家の場合、
やりたくないことを子供の代に押し付けて好き勝手やってきたのは夫の両親。
嫌なことから目をそらさずに暮らしてきた側との間に力の差ができるのは当然です。
別にわたしは力の差を付けてやろうと思って生きてきたわけじゃないですが、
3年分の経験が身に付くのは当たり前なんです。
嫁というものはこうだ!!!
という考えでいたい夫の両親は、
わたしをすごく攻撃しました。
ばーちゃんも本当は実の娘に世話してもらいたい気持ちがあるのと、
実の娘は可愛いですからその肩を持ちました。
もちろん夫と義理の姉はわたしの見方をしてくれました。
そもそもすべてを子供に押し付けて逃げていたのは夫の両親。
夫も義理の姉も、どの口が言う?!というスタンスです。
大喧嘩になり、結果的に夫の両親は2週間で出ていきました。
ついに夫が死にたいと言い出す
夫の両親もばーちゃんも、
あれはやりたくない/これはやりたくないばかりでした。
じゃあどうしたいんだ?と夫が聞いても、
あーしてこーしてこうすればいい!!
(…それができてればこうなってないんだけど。。。)
それができてないから今の状態になってるんだという夫の意見が、
まったく理解できない夫の両親とばーちゃん。
バカに話すだけ時間の無駄。もうどーでもいい。
どんだけ頑張っても全部こいつらがダメにする。もう死にたい。
ついに夫は死にたいと言い出しました。
息子が死にたいといっても何もできない家族
夫の口から死にたいという言葉が発せられました。
しかしながらそれを聞いた夫の家族は誰も何もできません。
黙ってシーーンとしていました。
え?え?いやいや自分の家族が死ぬって言ってますけど?!
正直わたしは夫の家族の行動を見て開いた口がふさがりませんでした。
その状況にブチ切れて夫を守ったのはわたし1人だけ。
その時は嫁という立場なんて捨て去って怒鳴り散らしました。
この行動を自ら取ったとき、
わたしはこの世の中に違和感を感じたんです。
立場っていったい何なの?
立場って捨てるためにあると思う。
— めがねこ@かなちゃん (@meganecco_kana) 2019年3月1日
・社長
・部下
・店長
・アルバイト
・夫
・妻
・子供
本気で貫きたいものがあるなら捨てなさい。
誰かの悪意で足止めを喰らっているなら、
立場なんか捨てて守りたいもの守ればいい。
周りが善だ悪だ言おうが関係ない。
自分が善だと思うなら貫けばいい。
これは実際にわたしが思ったことです。
自分が心から守りたいと思う信念があったなら、
それは誰になんと言われようと是が非でも守るべきであるってこと。
夫が死にたいと発した時、
わたしは嫁という立場を捨てて全力で家族から夫を守る行動を取りました。
夫の両親・ばーちゃんに食って掛かり、
夫を守るためなら何でもすると言い放ちました。
これはあの時自覚した自分の中での信念です。
誰が何と言おうが夫を守るという信念です。
そこに立場って必要あるんでしょうか?
わたしは立場というものは、あってないような物だと感じています。
敬うものはあったとしても、
振りかざしてがんじがらめにするものではないですよね。
立場なんて捨てたければ捨てればイイ
・年上は敬え
・上司に逆らうな
・下は黙って言うことを聞けばいい
今でこそだんだんこういう文化は薄れてきているように思いますが、
それでもまだまだ世の中にはびこっていますよね。
これって確かに大切なことだと思うし、必要なことだとも思います。
だけど今の世の中は、出来ていない人ほどこういう序列を振りかざすんですよね。
わたしはそこが気に入らないんです。
実生活でキチンと自分の身の回りのことを収められている人は、自動的に敬われますし、本人がどうこう言わなくたって皆従います。
わたしもそういう人の元にいるのなら喜んで従いますし、その人に付いていきますよ。
本当に何もできない人ほど、敬えだ立場がどうだこうだと吠えるんです。
なので、そういう人が言うこの文化に従いたいのであれば、別にそうすればイイとわたしは思います。
誰も何も言いませんし、
もし言ってくる人がいれば「人は人、自分は自分」と相手にしなければいいのです。
そしてわたし個人は、こういう流れに従うことができないと自覚しました。
嫁だからどう、嫁だからこう、
わたしは時と場合によっては、こういう文化を無視しようと思いました。
だって自分の仕事すら収められない人の言う事を聞き入れ、
結果として夫が死んでしまったら後悔しか残りませんから。
だから立場なんて、邪魔だと思うなら捨てればイイんです。
そして気づいた自分の矛盾点
例えば身近な人が死にたいといった時、
あなたならどうしますか?
死んだら家族や友達が悲しむにゃ!
残されたもののことを考えなさい!
こういう意見が多いと思います。
だけど死にたいといっている本人が、
心の底から死を望んでいて、
それが本当に自分が求める幸せなんだと言ったらどうしますか?
やはりそれでも止めますよね。
わたしも今までならそう考えていたと思います。
自分の価値観で相手を見てはいけない
語弊がある言い方になるかもしれませんが、
・夢の国のディズニーランドに行きたい
・夢の国の天国に行きたい
この2つの願いがあったとします。
滅茶苦茶な例えだ!って思うかもしれませんが、
本人が心からそう思っているのであればそれは本人にとっての幸せなんです。
この2つを良い悪いと決められるのは、
それを望んでいる本人だけです。
わたしは立場を捨てて自分を通したことで、
この本質に気づかされました。
夫が心から死を望むなら、受け入れないと自分の言っていることが矛盾する。
夫の幸せをわたしは望んでいて、もし夫の幸せが死だとしても、死んじゃだめだ!と止めてしまうのは夫の幸せを奪おうとする行為。
そこにわたしの言葉に対する矛盾が発生するんです。
ちなみにわたしの夫は、最悪の事態も考えて生命保険にたくさん入っています。
それが金銭的に自分を苦しめていることも承知の上です。
最悪にっちもさっちも行かなくなって、
もう死ぬしかないとなったとき、
そのお金でわたしが新たな人生を歩めるならそれでイイと言っています。
わたしはその夫の気持ちを受け入れることにしました。
最悪の場合、そうなったら受け入れる覚悟でいます。
そんなのダメ!一人で死んだら寂しいじゃない!
こういう意見で相手を縛り付けても、
誰も幸せになることはできないんだなと深く実感しました。
夫は死にたいと言いましたが、
2人で話した結果、まだ最悪の場合ではないねという結論に至っています。
じゃあそうならないようにできることは何かな?と、
今2人で考えています。
【まとめ】自分の幸せって何ですか?
夫が死にたいといった時、
自分は是が非でも夫を守りたいと思いました。
たとえそれが夫の家族であろうと、
夫を苦しめるなら絶対に許さないと思いました。
だけど果たして夫はそれを望んでいるのか?
もし望んでいなければ、
それはただの自己満足でしかない。
ちなみに夫は至って元気です。
死にたいと言ったのは、
そうやって究極の状況に家族を追い込むことで、
わたし達夫婦が家族から離れやすくするためのパフォーマンスでした。
そしてわたし達夫婦は家を出ていくことに決めました。
もちろん、死の覚悟は常に考えて行動しています。
今回実際に自分が追い込まれることで、
自分の守りたいものがわかるようになりました。
決して正攻法とは言えないかもしれませんが、
良い社会勉強になったなと思っています。
みなさんがこれを読んでどう思うかは知りませんが、
感じた自分の意志を貫いていって欲しいですね。
夫の家族との同居を解消しました。
一連の流れと、感じ・学んだことを書いています。
わたしは今まで自分に自信がありませんでした。
だから自分のことを認識するためにやった方法です。
数々の失敗を通してやっと学んだこと。
そもそも何故、失敗してしまうのかを分析して記事にしました。